国 際 理 解     第24号    2001年9月20日(1)

国際理解  第24号  

KOKUSAIRIKAI 岡山県国際理解教育研究会
 

●会長挨拶
●歓送迎会
●帰国教員からの報告
●子どもサミットの報告
   国際理解教育に寄せて
                         岡山県国際理解教育研究会
                             会長  尾崎 達
 

夏休みと同時に梅雨明けがあり,容赦なく灼熱の太陽が照りつける。こんな季節になると,決まって派遣されていたマレーシアのことを思い出す。もう17年前にもなることだ。    帰国して以来,いったい私は何をしていたのだろう。これから,海外に向けて旅立とうとする先生方の生き生きとした希望に満ちた意気込みや,帰国された方々の嬉々として語る経験談
を聞くにつけ,私のふがいなさが思い知らされる。こんな私が,本研究会の会長を引き受けるのだから,会員の皆様にご迷惑をかけるのは必至である。せめて,井関前会長の爪の垢でももらっておけばよかったと感じる。   
 常夏の国サバ州にいた私は,現地の人になりきろうということに徹したつもりで人々との交流を積極的に試みたが,結局,垣間見た文化のまねごとであったり,珍客を招いてくれたカダザン族の好意であったりしただけに過ぎなかった。彼らの目には,3年したら帰ってしまう物好きな日本人としてしか映らなかったのかもしれない。もちろん,私も永住するつもりもなかったし,日本の国に帰る日本人でしかなかったのだが。 
 日本の中での国際理解教育は,総合学習の中の例として取り上げられたこともあり,各校では様々な取り組みがなされている。そういう学校のある研究発表会に参加させてもらった。校内には,各国の衣装,生活の様子,簡単な言葉などが目につくところに掲示してあって,学校の取り組みに頭の下がる思いがした。子ども達は否応なしに外国の文化に触れることができるだろう。きっと数カ国語の言葉で簡単なあいさつぐらいはできるに違いない。そんな思いでいるところに,授業を終えて歩いてくる子ども達に出会った。私を含めた数人の参会者は,子ども達が通れるように廊下の端によって通路をあけた。緊張のためか顔を心なしか赤らめているその子達は,私たちの前を足早に黙って通り過ぎて行ってしまった。今までほほえみかけていた私の顔が少しこわばるのが分かった。明らかに顔立ちが外国の人と分かれば,流暢な言葉であいさつをしたのだろうか?せめて端に寄ってくれた参会者に,日本語でいいから「こんにちは」くらいは聞きたかった。もちろん会釈でもいい。              何か複雑な気持ちで次のアトラクション会場に向かった。外国の音楽を珍しい楽器で演奏していたようだが,映像だけは見えていたけれど,どんな音かどんなメロディーだったかは,先ほどの出来事を考えている頭の中では何も聞くことができなかった。国際理解教育はイベントだけではない。子ども達にどんな力をつけさせていかなくてはいけないかを考えておかないと,不易の部分を忘れた流行だけに終わってしまう。 外国で暮らしてみると,その国のよいところがたくさんある。そのまま日本でまねをしようとしても,その国の長い歴史と風土が創り上げた文化の上にあるから,全く同じようにはできない。しかもその人達は,自国のそれに高い誇りを感じている。ほんのわずかな滞在でそこの人達になりきろうというのは,とんでもないことである。冒頭で述べた私の浅はかさを鼻であしらわれることになった所以でもある。もちろん
日本にも歴史と文化はある。大切にしたいことをしっかり身に付けさせることを,国際理解教育を進める上でも留意していかなくてはならない。